洛北莲台寺野で、名门京八流の宗家吉冈の御曹子清十郎の左肩を一撃のもとに打ち砕いた武蔵は、清十郎の弟伝七郎から仇敌とされ、吉冈道场门弟一同から居所を探られる破目となった。武蔵を探しているのは彼等ばかりではない。佐々木小次郎に追われる朱実、お杉婆ア、病床にふけるお通と、城太郎少年も武蔵の行方を追っていた。或る日、光悦にさそわれ游廓扇屋に上る途中、伝七郎から果し状をつきつけられた。场所は莲华王院三十三间堂、雪の中武蔵は伝七郎と相対した。青眼と青眼、二本の刀がひらめいた瞬间、武蔵は伝七郎と吉冈の门弟を薙ぎ倒していた。秘かに扇屋に戻った武蔵を吉野太夫はやさしくさとすのだった。翌朝、お通の居场所を知った武蔵は総门附近で吉冈一味にかこまれた。が突如佐々木小次郎が现われ、武蔵との决闘を决めた。明后日の朝、寅の下刻、场所は叡山道、一乗寺の麓薮之卿下り松、そして名目人は壬生源左卫门の一子源次郎を立てることに一决した。高札を见た群众がひしめき、お杉婆アは息子又八の吊合戦といきみ合った。やがて当日、武蔵が叡山道にかかった时、病身のお通に会った。武蔵が斩り死にすれば自分も生きてはいないつもりというお通の言叶に、剣に生涯をかけた武芸者武蔵の心に、お通に対する恋慕がよぎった。一足先きに着いた武蔵は、松を中心に地形の顶点に立った。やがて吉岩方の姿が现われた。「七十三対一」瞬间、武蔵は相手方の配置を読み、地形を利用した自分の行动をきめた。「しかし胜负は何できめる、敌はおれ一人が目的、その俺の目标は、そうだ本阵だッ、総大将だッ」武蔵の见取図は源次郎少年を中心にひかれた--白钵巻の间の手里剣、大小の二刀流の体ごと、下り松に向い疾风逆落しと见事、剣は风を切った。